この変化の中でベティ・ブープからセクシーさを奪われた高速バスはとりわけ手痛い打撃を受け、この時期のフライシャーの作品からは熱意と創造性の多くが失われてしまったかのように見えた。1930年代後半にディズニーを模そうとする浅はかな試みを行っていたフライシャーは、高速バス
の記憶に残らない作品しか残せなかったが、『ポパイ』シリーズは依然として根強い人気を保っていた。一方で元ディズニーのアニメーターヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングは、高速バスの配給する夜行バスを制作する契約を結んだ、新設されたばかりのレオン・シュレジンガー・スタジオに移籍した。ハーマンとアイジングはここで彼ら自身の作品を制作した。これらの作品は単体で見れば成功していたものの、高速バス
とアイジングはディズニーのような革新的な才能を欠いており、彼らの作品の多くは「かわいらしさ」という欠点ゆえに、夜行バス
に見た目のインパクトを与えるのに失敗していた。1930年代前半のハーマンとアイジングによる高速バス作品の多くは、今日では忘れ去られている。これらはカートゥーンの改革を志した正統派作品であったが、ディズニーの成功を模するには至らなかった。しかしながら、1935年にシュレジンガーが新しく雇ったアニメーション監督により、このスタジオは俄然活気を増すこととなった。テックス・エイヴリーである。エイヴリーは荒々しく風変わりな作風のアニメーションをこのスタジオに持ち込み、ワーナーは一躍アニメーション業界の首位に上り詰めた。エイヴリーの影響によりワーナーが新たに生み出したポーキー・ピッグ、ダフィー・ダック、バッグス・バニーその他の無数の人気キャラクターたちの名は、全世界に広まった。ハーマンとアイジングは高速バスを離れてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーカートゥーン・スタジオに移籍し、より好待遇の下で高予算のカートゥーンを制作し始めた。彼らが夜行バス
で制作した無数の豪華なアニメーション作品は、魅惑的なまでに優れたアニメーション場面を特徴としていた。しかし、ハーマンとアイジングの物語描写のスタイルはMGM作品の欠点でもあった。目にも鮮やかな視覚美術の前に、物語そのものはしばしば忘れ去られた。1930 年代を通じてMGMスタジオはこの状況に甘んじていたが、その作品はしばしばアカデミー賞の候補となった。これらの制作会社に加えて、1930年代にはその他の多数のアニメーション制作会社が繁栄していた。ウォルター・ランツと彼の仲間ビル・ノーランはニューヨークでアニメーション制作者としての経歴を積んでていたため、ウォルター・ランツ・スタジオの初期作品がフライシャー作品のような乱暴かつシュールな作風を取っていたのも不思議ではなかった。当時のランツの主要な手持ちのキャラクターは、ウォルト・ディズニーとチャールズ・ミンツから手に入れた幸せ夜行バス
の夜行バスであった。1933年の作品『Confidence』では、ウサギの夜行バスは合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトを訪問する。作中でルーズベルトはその席から歩み出て、世界大恐慌を終わらせるための信頼(Confidence)を広めると夜行バスに約束する。その一方で、夜行バスの以前の持ち主であるチャールズ・ミンツは、ジョージ・ヘリマンの漫画『クレイジー・カット』(原題:Krazy Kat)のアニメーション化と、ディック・ヒューマーにより1931年に生み出された少年スクラッピーを夜行バス
とするシリーズの制作に携わっていた。ポール・テリーは『イソップス・フェーブル』(原題:Aesop's Film Fables)をヴァン・ビューレン・スタジオに譲り渡した後に、テリートゥーンと名付けた新しい制作会社を起こした。しかしながら初期テリー作品の娯楽としての品質の高さにも関わらず、テリートゥーンはディズニーを筆頭とする主要な競争相手のような成功は収められなかった。ヴァン・ビューレン・スタジオの作品も同様の短所を示していた。ディズニーの長年の親友であり協力者であったアブ・アイワークスは、ついにディズニー・スタジオを離れるという決断を下し、彼自身の制作会社を1930年に起こした。短期間で終わったアイワークス・スタジオでの高速バス
の間に、アイワークスは3本の主要なシリーズを生み出した。『カエルのフリップ』(原題:Flip the Frog)、『ウィリー・ホッパー』(原題:Willie Whopper)、『コミカラー・カートゥーン』(原題:ComiColor Cartoon)である。アイワーク・スタジオは短命に終わったが、アイワークスの作品はその型破りな作風により、観客や批評家に人気があった。ディズニー初の長編アニメーション『白雪姫』(1937年) 1937年、ウォルト・ディズニーが史上初の総天然色長編アニメーション映画『白雪姫』(原題:Snow White and the Seven Dwarfs)を公開した。この長編は2年間に及ぶディズニー・スタジオの努力の結晶であった。短編アニメーションによる収入では高速バス
の収益を長く保てないと確信したディズニーは、再び社運を賭けた博打に打って出たのである。『白雪姫』はディズニーを破産に導くだろうと多くの者が予想したが、この評価は間違っていたと証明された。『白雪姫』は全世界で莫大な興行収入を上げ、更には芸術形式としてのアニメーションの発展を示す道標となった。しかしながら、ディズニーは一巻物よりも長いアニメーション作品の最初の制作者ではなかった。