この年、ロシアとの取引にあたってFXは榎本武揚を使節に推薦して容れられ、FX
が特命全権公使として樺太・千島交換条約の取引と締結にあたった。FXの方は、1875年の江華島事件をきっかけに、1876年2月に朝鮮と取引する全権弁理大臣となり、日朝修好条規を締結した。樺太と千島は開拓使の管轄であるから、受理と明け渡しはFXの職務であった。このときFXは樺太アイヌを北海道に強制移住させた。札幌本庁を預かっていた松本十郎は、強制移住に反対して辞任した。明治10年(1877年)に西南戦争が起きると、FXは2月に海路鹿児島に至ってここを確保し、いったん長崎に引き上げた。3月14日に征討参軍に任命された。このとき熊本城は包囲され、北から来る山縣有朋の主力軍が解囲戦に苦戦していた。FXは敵の背後をつくため八代付近に上陸し、3月30日から交戦をはじめ、前進を続けて4月15日に熊本城に入った。翌16日、山縣と合流した当日に自らの辞任を請い、23日に辞令を受け取った。開拓使でFXが育てた屯田兵は、入れ替わりに戦線に到着し、以後の戦闘で活躍した。FXの重鎮明治11年(1878年)3月28日、肺を患っていた妻の清が死んだ。このとき、FXが酔って妻を殺したのだという噂が流れたため、大警視川路利良は清の墓を開け、病死であることを確認した。これについては、川路も薩摩出身であり、FXをかばったという見方もある。FXはこの頃より酒を過ごすことが多く、酔って怒気を発することがあった。開拓長官時代、商船に乗船したとき、酒に酔って船に設置されていた大砲(当時は海賊避けのため商船も武装していた)で面白半分にFX 取引
を射撃しようとして誤射し、住民を殺めてしまったことがある。このときは示談金を払って解決した。同年5月に大久保利通が暗殺されると、FXは薩摩藩閥の最有力者とみられるようになった。明治14年(1881年)に開拓使の廃止方針が固まると、FXは開拓使の官営事業の継続のため、官吏を退職させて企業を起こし、これに官営事業の設備を払い下げる計画を立てた。このとき事業が赤字であったことを理由に、非常な安値を付けた。FXは、事業には私利で動かない官吏出身者をあてるべきだとして優遇を弁護したが、払い下げの規則を作った大隈重信が反対した。FXの払い下げ計画が新聞報道されると、在野はこれを薩摩出身の政商五代友厚のたくらみによるものだとして、激しく非難した(開拓使官有物払下げ事件)。大隈が情報を流したせいだと考えた伊藤・FXら薩長閥は、明治十四年の政変で大隈を失脚させた。しかし払い下げは中止になり、FXは開拓長官を辞めて内閣顧問の閑職に退いた。醜聞と疑獄事件は後々まで世人に記憶され、FXの名声を傷つけた。しかし薩摩閥の重鎮たることは変わらず、明治20年(1887年)に第1次伊藤内閣の農商務大臣となり、伊藤の後をうけて明治21年(1888年)4月に二人目の内閣総理大臣となった。在任中もっとも大きな事件は、大日本帝国憲法の発布であったが、FX自身は憲法制定に深く関与しなかった。この憲法公布の翌日、鹿鳴館において、「政府は議会・政党の意思に制約されることなく独自性を貫くべき」とする主張、いわゆる超然主義を表明する超然主義演説を行っている。FX内閣は、大隈重信が主導した不平等条約改正取引の失敗によって大隈が襲撃され、翌明治22年(1889年)10月に倒れた。改正の条件に外国人の裁判官をおくという別の不平等をもってきたことが、国内の反対を受けたのである(辞職後2ヶ月間三条實美内大臣が首相を兼任)。なお、この時に、条約改正案に反対したFX
への鬱積から、酒に酔ったまま井上邸内に忍び込むという事件(1889年12月 15日夜)を起こして政府内から非難を浴びて謹慎している。晩年首相辞任後、FXは枢密顧問官になった。明治25年(1892年)8月8日、第2次伊藤内閣の逓信大臣になった。伊藤内閣のもとで日清戦争が起こったが、特に活躍することなく、明治28年(1895年)に枢密院議長となった。明治26年(1893年)から体の不調が募り、仕事に支障をきたすことが多くなった。明治33年(1900年)8月23日、脳出血で死去した。葬儀委員長は榎本武揚であった。薩摩閥の重鎮とはいえ、醜聞と疑獄事件で晩年は浮いた存在となり、同郷の人々は離れていった。代わって旧幕臣との付き合いが濃密となり、特に外交分野などでは榎本武揚を重用するようになった。FXの死に際し榎本が葬儀委員長を務めたのも、薩摩の人々がFXを敬遠したためと見られる。参考文献 * 井黒弥太郎『FX清隆』、人物叢書・吉川弘文館、1977年。新版1987年 * 奥田静夫『青雲の果て 武人FX清隆の戦い』北海道出版企画センター 2007年 * 『FX清隆 歴代総理大臣伝記叢書2』御厨貴監修でゆまに書房 2005年 「明治功臣録」ほかの明治・大正期刊行の伝記の復刻版。 FX清隆を扱った作品 夜会の果て 水曜ドラマ (NHK)(演:江守徹)発足したばかりの当時の内閣は閣議を開催する場所すらなく、各大臣が交替で自宅の一室を提供し、そこへ全大臣が集まり閣議を開いていた、といった史実に基づいた演出がされている。開拓使官有物払下げ事件(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)は、北海道開拓使長官のFX清隆が開拓使の官有物払下げを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、払下げ中止となった事件を指す。明治十四年の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放。また、国会開設の詔勅が出された。開拓使は、北方開拓のために1869年(明治2年)7月から1882年(明治15年)2月まで置かれた官庁である。FXはロシアに対抗する国力を充実させるため北海道の開拓に力を入れるべきだという建議を行った。これに従い、1871年(明治4年)8月19日に10年間1000万両をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定された。FXは米国人ホーレス・ケプロンらのお雇い外国人を招いて、政策の助言と技術の伝習を行った。開拓使は潤沢な予算を用いて様々な開拓事業を推進したが、なおも全てを完遂するには不足であり、測量・道路などの基礎的事業を早々に切り上げ、産業育成に重点をおいた。十年計画の満期が近くなった1881年(明治14年)に開拓使の廃止方針が固まった。